新年、空気も巡り

 境内は人で溢れていて、普段は人気の無さを強調している色褪せた鳥居も、今日ばかりはどこか風格を感じさせた。

 その鳥居を柊がくぐったのは、待ち合わせ時刻の10分前だった。恐らくまだ来ていないだろうと思いつつ周囲を見渡した柊はしかし、人ごみの中に彼女を認めた。新年早々彼を呼びつけた相手である岬は、体格も平均的で目立つ格好もしていなかったが、柊がその姿を見落とすことは考えられなかった。というのも、彼女は彼に向けて、両手を大きく振っていたからである。岬は周囲の目をそれらりに集めていたが、それを気にするような様子はほんの少しも見られなかった。目立つことを好まない柊は近寄りたくなかったが、状況として岬を待たせているということもあり、ポーズ程度の早歩きで彼女の方へ向かっていった。

 

「すみません、お待たせしました。」
 柊は挨拶よりも先に、遅れたことを謝罪した。とはいえ、柊は待ち合わせ時刻に遅れていないことを知っていたし、ここに来たのも岬に当日連絡で呼びつけられたためであった。元日に当日連絡で、応じる人間はそう多くはないだろう。そんな意識は態度に透け出ていて、謝罪は気持ちのこもらない、普段の挨拶と変わらないような雰囲気だった。
「別に待ってないから大丈夫だよ。でもその調子じゃ、ミサキくんは今年もダメダメっぽいね。まぁいいや、もっと言うべきことがあるでしょ、ほら、みんなやってるやつだよ。」
 岬は手足や鼻先を赤くしていて、服も気温からすれば薄着だったが、機嫌を損ねたような様子はなかった。他人をからかうような薄ら笑いをいつも通りに浮かべ、やはりどこかふざけたような口調で軽口を叩いている。柊は、気に入っていない自分の下の名前が少し気に障ったが、岬の要求に応じることを優先した。岬の要求したものはすでに頭に浮かんでいたものであり、答えるために頭を悩ます必要は無かった。
「明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。」
「はい、おめでとう。今年もよろしくね。うん、ちゃんと言えて偉かったね、お姉さんがお年玉をあげようか、ほら。」
 柊の挨拶は定型そのままのものであり、先の謝罪よりもさらに気持ちがこもっていないようなものだった。しかし岬は満足げな笑みを浮かべると、やはりどこかばかにしたような態度で、厚みのあるポチ袋を差し出した。ただ、その厚みは不自然なもので、用途通りのものが入ってないようことが一目で分かるものだった。 
「下の名前を呼ぶのもそうですけど、そういう態度もやめてもらえると助かります。……これ、何が入ってるんですか?」
 柊は岬の態度を咎めつつ、訝し気にポチ袋を受け取った。本当にお年玉なら受け取るわけにはいかなかったが、中に何か別のものが入れられていることは明白で、それならば受け取らないわけにもいかなかった。柊がすぐに中身を確かめようとすると、その手は岬の手によって抑えられた。手は軽く添えられただけで、そのまま開けることは簡単だった。しかし触れた手の冷たさは自分の手も凍らせるかのようで、驚きから柊は手を止めた。
「まぁそう焦るものでもないよ。先にあの列に並んで、そこで話を続けるとしようじゃないか。」
 岬が手で示したのは鳥居のそばまで伸びた参拝の列で、それなりに遠いはずの拝殿まで続いているようだった。柊は行列に並ぶことを内心面倒に思いながらも、岬の言葉に従うことにした。ここで断るようならそもそも神社に来ることもなかったかと思いつつ、柊は岬と共に列に加わった。

 

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「そんなこともあってね、まぁ実家には帰りにくいんだよ。まぁそもそも帰りたくもないんだけど。……ミサキくん、ちゃんと聞いてる?」
 ゆっくりと進む列に加わってから10分ほどたち、柊たちは列の半分程度まで進んでいた。ポチ袋はまだ中身を隠したままだった。柊は列に加わってから何度か許可を求めたが、岬はそれを許さず、柊からすれば必要性があまり感じられない内容の話を延々と続けていた。柊は文句を言うことなくそれを聞き流していたが、恐らくは時間を進めることが目的の話である、それを聞き流して文句を言われては黙ってはいられなかった。

「それよりいい加減開けていいですか? 話にしても、時間稼ぎにしか聞こえませんよ?」
「まったくミサキくんはせっかちだなぁ。話だって、私の貴重な身の上話だよ? それを時間稼ぎだなんて。まぁでもいいよ、中が気になって仕方ないんだもんね、開けていいよ。」
 焦らされているから求めているのであって、柊はポチ袋の中身にそれほど関心はなかった。それは岬も当然わかっているのだろう。口調は身の上話を語るそれと異なって、いたずらをする少年のようだった。岬の態度はやはり柊の気に障ったが、今更文句を言う気にはならなかった。柊は疲れ切ったような顔をしながら、ポチ袋の中を取り出した。入っていたのは四つ折りにされた年賀状と、やや新しめの五円玉だった。
「年賀状と、五円玉ね。年賀状は私の手書きだから、大事にすること。お賽銭は柊くんにあげるやつじゃなくて、私がこの神社にお賽銭として入れる分だから、柊くんはちゃんと最後まで列に並んで、自分の分と一緒に入れてね。」
 柊は初めて見る四つ折りの年賀状に驚いていたが、それでも理不尽な要求を聞きとがめずにはいられなかった。
「大事も何もこれをどうしろと言うんですか、それよりなんで僕が岬先輩のためにお賽銭をするんですか?」
「別に本当に大事にしてほしいとなんて思ってないよ、冗談よ、冗談。もうここでの私の用事は済んだし、あと友だちを待たせてるんだよね。来年は柊君も、と思うけど、今年はここで並ぶといいと思うんだ。悪いけど、よろしくね。それじゃ、また部活で。」


 勝手なことを悪びれもせず言うと、岬は列を抜けて去っていった。柊はいつも通り勝手な振る舞いに辟易しつつ、列が整うように並び直した。今さら文句をこぼすことはないが、柊は小さくため息を漏らした。境内の空気は冷たく、しかし不快ではなかった。