今月の振り返り(2019.9)

[9月]

 

 3月末には今年度も終わりかと言うものだし、6月末には今年も折り返しかと言うものだ。したがってこれは思いの外月並みの感想なのだが、早いもので今年度も折り返しだ。

 

 とは言うものの、この半年に関してははやや特殊な半年だったかもようにも思う。それはまず、自分が今までとはかなり異なった社会的身分を背負いこんだことが大きいだろう。体感としては、とにかく時間の経過がはやかった。一瞬一瞬はズルリと継続しているものの、日が暮れて外を歩いていると、朝起きてから日暮れまでがほんの数十分ぐらいに感じられる。ぼんやりした頭で少し本を読んで、また朝出かけると、もう日が暮れている。最近は日没も早くなっていて、日暮れどころか気付いたころにはもう夜だ。次に気が付いたときにはもう中年になっているのではないかと、ときどき不安に思う。

 

 思うに(あるいは、印象を例えて言うと)、自分の思う「私」の割合と、実際に生きる「私」の割合との隔たりが大きくなったのだ。日中の営みは、「私」の構成割合でいうとおよそ1割5部がいいところだろう(これは計算ではなく直感だ)。それにも関わらず、意識のある時間の半分に近いかそれ以上の部分が、実際には費やされている。「私」は希薄になるばかりだ。自分の時間が、自分の手ですくい取れなくなっていくようだ。

 

 「自分探し」と言うと、一時期よく揶揄されていた印象があるし、私自身もそのような態度をとっていた気がするが、その気持ちが最近は少し分かる気がする。こんな風に要領を得ないことを書かせている気持ちが、まさにそれなのだろう。私がなぜこんなところに。こんなところに私はいない。そんな気持ち。

 しかしながら、どこか別のところに自分がいるはずもないし、そんなものは幻覚でしかないのが明らかであるから、まぁ身体は軽いしそう悪くもないかしらと、そんな今日この頃である。

 

 

 

[よかったこと]

 

 筋力トレーニングによく励んだ。連休の埋め合わせもそれなりにできて、大体週に4日は行けていたような気がする。マシンあたりの回数を減らして(大体半分にした)、その分重量を増やし(大体2倍にした)、一日あたりのマシンを増やせば、マシンの上でへばっている時間を削れるのではないかと思ったが、そんなことはなかった。かかる時間は1.5倍ぐらいになってしまった気がする。

 

 プリパラを10話弱ぐらいみた。別に頑張ってみているわけではないから、偉かったかのかと言うとそうでもないのだが、何であれ継続して数字が増えていくことは嬉しいことだった。見るたびに感想を書いているのであえてここで書くこともそこまではないのだが、最近はよくパラダイスコーデのことや、ファルルのことを考えている。

 僕は昔から、世間一般からするとオタクと呼ばれる人種だが「本物のオタク」(こういう言い方というか考え方がまずよくないのということは分かっている)ではないという自覚がある。というのも、アニメや漫画を楽しむものの、特に考察とか長々とした語りができる人間ではないのだ。プリパラに関してはかなり意識してその辺りに取り組んでいて、不格好ながらそれなりに成果もないではないような気がしている。

 

 9月に読み終えた本は、物体としての本で数えて4冊だった。

・イポリット「ヘーゲル精神現象学の生成と構造 上巻」

・バルガス・リョサ「若い小説家に宛てた手紙」

綿矢りさ蹴りたい背中

・イポリット「ヘーゲル精神現象学の生成と構造 下巻」

 「精神現象学」をとりあえず読んだもののよく分からなかったから読んだ「生成と構造」だったのだが、やはりよく分からず、かなり時間がかかった。そもそも筋力トレーニングに時間を使いすぎて読書時間が減っていたこともあり、読書の進みはあまり良くなかったと思う。10月はその辺りの時間調整をしっかりできるようにしたい。筋力トレーニングは端的に言って苦痛なので何かやっている感があるのだが、それだけに言い訳に使っている自覚がふんわりとある。

 

 そのほか、友人と一緒に筋力トレーニングやプールに行ったりできたのはよかった。僕の時間はスカスカの安ものに思われ、それにかこつけて人から声をかけられるのを待ってばかりの僕である。そんな人間に声をかけてくれるのは非常にありがたいことだと常々思っている。

 

 

 

[よくなかったこと]

 

 筋力トレーニングを使って逃げていた読書を使って、逃げからも逃げていたのが、相変わらず書くことだった。最後にほんの少しだけ小説(もどき)を書けたのでまだよかったが、それにしても避けに避ける様子が目に余った。9月の土日および祝日は、実際の所、書くことから逃げ続けていたようにも思う。どうせ誰も見てはいないのだとはわかっているが、怖いものは怖い。なんでこんなに怖がっているのかと言うと、まぁありがちな話ではあるが、失敗することや失望されることに晒されてこなかったからなのだろう。このままズルズルと時間を過ごしても、どんどん怖くなる一方だろうとは思う。こういう気軽な書物などでも利用して、皮膚の柔らかさを調整していけるとよいと思う。

 

 ソシャゲとの関わり方がかなりよくなかった。ポケモンマスターズは何時間かリセマラして、これは本当に言いたくないのだが、3000円ほど課金して、2-3日ほど熱中した後、持病の発作が出てアプリを消した。まぁいつものことと言えばいつものことなのだが。ここに書き留めておくことで、次がないことを祈るばかりである。

 メギド72とアリスギアは、僕の中で盆栽問題と呼んでいる状態を継続しつつも、ダラダラと時間を使っていた。偽物の木だと言うなら早くやめた方がいいし、本物の盆栽として育てていくなら育てていくと決めた方が良い。直感的には、「本物の木」と「本物の盆栽」の間に引かれた線は何の妥当性もない気がしていて、結局無自覚的に遅延をやっているだけになのだと思うが、一方でそこに言い訳をを嗅ぎつけていて、というところである。

 色々のあれこれとは別として(別ではないが)、楽しむことを許せるようにはしていくべきだとは思う。久々に会った高校時代の同級生に、「まだ君は呪いが解けていないね」みたいなことを言われ、あやうく殴りかかるところだった記憶があるが、まぁあながち間違いでもないのだろうと、思ってはいる。

 

 

 

 最初ということもあろうが、今月の振り返りをするつもりがなんかこう微妙な感じになってしまった。幼稚に鬱屈した子どもで恥ずかしい限りだが、まぁそれなりにやっていけるといいなと思っている。