そうしてまた歩き始める。

 

「わたし来世はクラゲがいいな」

いつか一緒に訪れた水族館で、彼女がそう呟いたのを思い出した。

 

彼女にしてはめずらしい浸った言葉が意外で、彼は視線をクラゲから彼女の方へ移した。彼女は言葉を継ぐことなく口を閉じて、漂う姿をゆっくりと目で追っていた。その横顔がいかにも真剣で、ついて出かけた軽口は引っ込んでしまった。そっか、と詰まり気味に返して、後に沈黙が続いたのを覚えている。

 

「今日は楽しかったね」

何と返したのだっただろうか。それから少しして、彼女とは自然に疎遠になった。そしてもう二度と会うことはない。最後の別れはそれとは知らず過ぎてしまったらしく、思い出にさえならなかった。

 

暗い水の中を、透明の薄膜が漂っている。

 

空を塞ぐ重い雲から、冬の冷たい雨が降り続いていた。雨粒の勢いは激しくもどこか寂しげで、降り落ちることを受け入れつつも、できるだけ長く空中に留まることを望んでいるかのように見えた。冷え固まったアスファルトに叩きつけられて、ぴちゃんと水滴がはねる。

手に伝わる振動が不意に強まって、彼はゆっくりと顔を上に向けた。濡れたビニールの向こうには、暗い灰色が平坦に広がっていた。

 

『わたし来世はクラゲがいいな』

今の自分なら、あの時よりいい答えが返せるだろうか。彼は自問しつつ、濡れて重くなった足を前に進めた。

雨は冷たく、冷え切った身体はよそよそしかった。